ところで私は思うのであるが、そして芸術家は独特であるという前提で話をするが、社会の中でみれば、真に独特な芸術家の中で無思慮な人間は天才以外にいないのではないだろうか。というのも、彼らはどうすれば善い作品が生まれるかについて考えるからである。いや、私は思うままにつくっているなどという人間の作品はなにをおいても目に見える。それは一見妙なものでありえても、やはりどこかで見たものでしかない。今まで見たことのない作品は、科学者が深遠な理論を生み出すのと同じように、実際のところ頭の中でしか生まれないのである。実際に偉大な芸術家は確たる思想を持っていたし、或いは新しい思想を待ち望んだ。真理はひとつであるから、それでは独特と言えないのではないかという不安はもはやない。誰も芸術の理想、すなわち唯一の真理に至ることはないのだから。芸術家はただ、理想に近づくだけなのである。それだから私はわざと陳腐な表現でいうが、芸術家は頭が良くなければならない、思慮深くなければならないと思う。
20171016
芸術家
一般に中学校までは経験の範囲は狭く、外面的な個性がそれとして認められる。高校になると似たような人間が散見され、個性は次第に埋没する。私が高校生になると、あらゆる行動の根底に芸術の意識があったように思う。広く勉強することは、広く映画を見ることは、広く音楽を聴くことは、私の目指す芸術の為になることだとかいって感受性を高めていった。それは大学の半期まで続き、身辺の煩雑さや多様さに抗う形でミニマムへの志向が強くなるもいつしかその期待は薄れ、相反する志向性が私を悩ませて今に至る。これらすべての経過は動機の失われた振り子と同じ振る舞いであると思えば、いづれ落ち着くところがある。そして私は今や、芸術の意識があるだけで筆を持たない画家さながらだ。
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otonarikaminari
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