時間は朝陽を昇らせました。ぼくは元々陽に弱い肌で、陽の眩しい光を浴びるとくしゃみをしてしまうのですが、なんとかそこは踏ん張ります。一難去ってまた一難、午後のお気楽お天道様といえば、まるで酒太りの丸々とした厚いお腹で、嫌みたらしく暑苦しいちょっかいをかけてくるでしょう。ぼくはダメでした。ダメなやつ。眠ってしまったのです。嗚呼、覚醒したときの気持ちはお分かりだと思います。考えるだけでも惜しいもの。そのとき、夜だけでいい、夜だけがいいと思いました。それからのことです。そんなぼくも、今や夜に寝て、朝に起きているのです。馬鹿でしょう、馬鹿でしょう。遠距離恋愛、みたいなものです。だって、なあにが遠距離恋愛だ。でも、遠距離恋愛が時に人格を育てるように、夜を抜ける睡眠が、ぼくの心を少しでも育てましょうか。ただそれだけが希望です、ただそれだけが。おやすみなさい。
20160425
思寝
或るとき、過ごすのは夜だけがいいと思った日がありました。夜のお伴は他の誰でもなく自分だけで、時たまの雷雨も、ぼくの感情をよりいっそう鮮明にするというのです。心地良い音楽を添えたら、この部屋の枕元がスタンドライトで照らされたように明るくなる。いいえ、本など読みません。めくるめく想像が、しっかりとぼくを食い止めて、目から耳から、時にはいつの間にか心の中で踊っていたなんてこともありました。ひとまず経てば、ぼくが聴いているのはフォーレのノクターンなのに、どうして彼らは自然が山を形成するように、大きく、次第に大きく踊っていくのだろう、音のない舞踏に、これは動こうにも動けないといった具合で、まるでバレエのボレロさながらの感性の戯れに、しかし戯れというには偉大すぎる芸術に、ぼくもまたそうした中で惹きつけられていきました。夜の中にポツンとぼくがいるように、偉大な芸術の中にポツンと理性が見えるのでした。それこそがいわば、心の光というものでしょうか。もうそれを知ってしまったら、睡眠どころじゃあ、ない。あれよあれよ、なんという興奮が舞台を炎のように赤く染めるでしょう!ぼくはその上で踊っていました。振付家の言ってることはなんにも正しくないのに、創り上げたその踊りは崇高なのです。
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otonarikaminari
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