20160430

春は曙

斎藤さんと高田くん。見知らぬ二人の再会に遭遇し、しばらく彼らの会話が聞こえてくるので、今は故きデヴィッド・ボウイの「Space Oddity」を聴いた。常世の星に、君はいるだろうか。ちょうど私は窓辺に居たので、そこから夜空を仰ぎ見れば、こちら地上、まどかなる宇宙の、堂々たる瞳の奥に重なり合う時定めのめぐりあい、あてもなく彷徨い指して行く路に、思案をのがれためぐりみず、遠く投げた石ころは水面の一葉を射止め、心密かに沈む幻を一抹の生命に変えてみせた。春風に解けた雪のわずかな涙を、虫の佇まいを観るように味わった。
君よ、赤みを帯びた艶やかな頬は、胸に刻まれた思い出の暖かさを知っているのでしょう。さかしらに迷いを覚え、憂き身に苦しんだ夜の、よろず鮮やかな花明かりと共に、今はその時を静かに待つ月を見ています。いま、君は何を考えているでしょう。当たり障りのないことを聞いたとして、君なら絶えて応えることもなく、十五の齢に知った初心な羞じらいの結び得た友情を、私は消灯のあとで忘れ去らなければならないのでしょうか。君がまだ近くに居るというなら。ここに居たら、きっと楽しいのに!私は吐息を潜め、君の心の響めきに耳を傍立てるのに。でも君はきっと、それをよく選んだのです。それならば、それならばどうか、よく生きてくださいますよう。自分を知るのは、世の全ての百科事典では間に合わず、人の一生では重過ぎる。曙が妙なる明かりより、川面に映える薄光り、瞳の奥のひこばえに高貴な意志は授けられる。
夜は静かで、心は軽い。先きの二人は居なくなった、私をのこして。残された私も、ついに居なくなるだろう。来たる曙光に心をば寄せて、私はまだ空を見上げるが、それをもまた、空しく思う。晩成の道はながく、時を知らせる風もない。自分に耐えられないのさ、本当はもっと、強いのにね。でもいつしか、と思う。いつしか私は、月でもなく星でもなく、曙光のようでありたいと。

20160426

四月 花こよみ

白鶺鴒の飛び跳ねる朝を、眠たげな目でぼうっと眺める。夢見鳥の遺した姫萩の花、軽やかな名残惜しさの淡い影に、暮れなずむ四月の瞑目を知った。あの人の目の、記憶の窪みに深く溶け込む哀しさ。深淵に触れる情熱だけが、真実をあぶりだす、と或る大人は言った。風の心意気で新鮮な気持ちを懐き、卯の花曇に、変わらぬ長閑な情景とほんの少しの望みが目の前に映し出されるなら、まあ、大人になったのだろうか、分からない。小鳥の細やかに跳ねる様子、蝶々のたゆたう姿も、微笑むようなやさしさの、尊い水辺の在り処を教えてくれる。そこでは、心の中の花時計も安らぎを覚え、その微かな影で熟れた真実は、春の長雨に負けることはない、子の親へ寄り付くように甘く、愛おしい。でも、誰がそれを知るだろう。夢現のからくりを鉄の羽根もて飛び跳ねて、心ゆくまで未来を語った、あの人は、数日を残して、どこかへ消えてしまった。

20160425

思寝

或るとき、過ごすのは夜だけがいいと思った日がありました。夜のお伴は他の誰でもなく自分だけで、時たまの雷雨も、ぼくの感情をよりいっそう鮮明にするというのです。心地良い音楽を添えたら、この部屋の枕元がスタンドライトで照らされたように明るくなる。いいえ、本など読みません。めくるめく想像が、しっかりとぼくを食い止めて、目から耳から、時にはいつの間にか心の中で踊っていたなんてこともありました。ひとまず経てば、ぼくが聴いているのはフォーレのノクターンなのに、どうして彼らは自然が山を形成するように、大きく、次第に大きく踊っていくのだろう、音のない舞踏に、これは動こうにも動けないといった具合で、まるでバレエのボレロさながらの感性の戯れに、しかし戯れというには偉大すぎる芸術に、ぼくもまたそうした中で惹きつけられていきました。夜の中にポツンとぼくがいるように、偉大な芸術の中にポツンと理性が見えるのでした。それこそがいわば、心の光というものでしょうか。もうそれを知ってしまったら、睡眠どころじゃあ、ない。あれよあれよ、なんという興奮が舞台を炎のように赤く染めるでしょう!ぼくはその上で踊っていました。振付家の言ってることはなんにも正しくないのに、創り上げたその踊りは崇高なのです。


時間は朝陽を昇らせました。ぼくは元々陽に弱い肌で、陽の眩しい光を浴びるとくしゃみをしてしまうのですが、なんとかそこは踏ん張ります。一難去ってまた一難、午後のお気楽お天道様といえば、まるで酒太りの丸々とした厚いお腹で、嫌みたらしく暑苦しいちょっかいをかけてくるでしょう。ぼくはダメでした。ダメなやつ。眠ってしまったのです。嗚呼、覚醒したときの気持ちはお分かりだと思います。考えるだけでも惜しいもの。そのとき、夜だけでいい、夜だけがいいと思いました。それからのことです。そんなぼくも、今や夜に寝て、朝に起きているのです。馬鹿でしょう、馬鹿でしょう。遠距離恋愛、みたいなものです。だって、なあにが遠距離恋愛だ。でも、遠距離恋愛が時に人格を育てるように、夜を抜ける睡眠が、ぼくの心を少しでも育てましょうか。ただそれだけが希望です、ただそれだけが。おやすみなさい。

20160424

第一夜

強烈な刺激だという。経験したことのない感動が私の指先にあると思えば、大きすぎて、鷹にさえ認識できぬ塔があるように、一気に呑み込むことの出来ない経験が私の背後へ過ぎ去った。私の身体は緊張から痙攣したが、その一刻の感触は決して忘れまい。言葉にできぬ先きの一夜が想念となって今では興奮を次々と起こしながら目紛しく渦巻く。それはあまりにも強烈な刺激だといって、嵐のあとの静けさのように、私は一人になって虚無に襲われてしまった。あれや研ぎ澄まされた吃りの声が青々しい空洞に響いて、それがいっそう寂寞たる孤独の影を濃厚にする。着実と進んでいた足取りの、思い通りにいかぬ様を私はじっと見るしかなかった。
それでも、目に見る人生の中に、歳を重ねる紫色の魅力がきっとあった。手を重ねることの、かけがえのない温もりが確かにあった。素晴らしい出逢いを得たのだ、冬にとけたものを春に再び結びなおすように、今は時うつろに漂う初心な言葉を、二十余年の風雨に鍛えられた時流外れの本質に呼び集めたい。
目に見えぬ人生の中に、私の進むべき道はある。理性が与えたのは二枚目の風貌でなければ、花染めの寝床でもない、心の拠り所と云うべき理念である。彼方の高嶺の、雲掛かり、美しい。かの巨大な感動を私はいずれ呑み込もう。きっと分かる、じっと見つめていよう、白花色の雲を。その間から、強き、やさしい光の射し込むのを。

20160420

幻想こよみ

天津地を互いに抱き合わせ、恋占いのお仕舞いに春が来た。こよみの中では恋を読み、待ち遠しくて冬の名残に身を宿す。好き、嫌いの言葉がひらひらと、流れ、重なり、純情だけが手もとに残ると、恋におちた感情が白く透き通って見える。人生二十幾年の予感が狙う的、盲の闇夜を浮く船に、こがねに輝く扇あり。美しき花の咲く頃に、散りゆく生命もあっただろ。誰も見えぬこの弓に賭けて、思いを結ぶ一閃の、橋の如き不動の心を捉えよ。習い字の線は太く延びて、ついに天地を区別した。それは午前五時のことである、静かな朝を、雨音が充たす。

20160419

青空の処女

青空を抱く水玉をミモザの花が迎える。淡い乙女の頬が小花の小陰を転がると、即興で戯けるピアニストのような、せつなの風が吹く。大海に顔を出す陽のように、露わになる乙女心が眩しい。生きることをみなが知るとき、草葉のような、言葉はなにも、要らないのかも知れない。

20160411

大空を飛ぶ鳶の声鳴りて、菜の花の揺らぎ、この地を風は這う、桜の花は散って、緑の背中を見せた。景色の山がいびつな線を延ばし、途切れる無数の糸が陽光の最中を舞う。旬の風の膨らみ、この身を包む郷愁の匂いが語るのは片田舎の常套句で、それだけで充分だというように黄昏を待つ。
元気そうで良かったと、与えられたものを受け容れる、それはむずかしいことに違いない。きっとあなたは飛び出すのさ、時代の畝りから、より広大な平野へ、想い出の季節が彼方此方へ匂いを遣れば、風の旋律に運ばれて、郵便屋さんよ、ありがとう。貴方のお便り、届きましたよ。

20160401

新しい生活

新しい日を過ごすのは大変なことだ。今迄の生活が残像のように頭を過ぎる時間は微笑ましい、急な変化を和らげてくれる配慮がぐらつく心をそっと支える。実家に戻って体調を崩したが、それが焦ることはないという標識に見える。ところで実は新しい生活などなく、生活の重みがいっそう加えられたに過ぎなかった。心惜しい離別に関しても、楽しみな出会いについても、書きたいことや知らせたいことがある。ぼくは思い出すことを知っているから、そのうち細々とでも石片に書き込もう。

生活の重みといったって他にやることが多いというだけで、闇雲に沈む月のようにどんよりとしてはいない。視力の検査をするように、生活について、ぼくにはっきりと見えるものがあり、また見えないものは多い。