観劇の後に大きな公園の中道を歩いた。中ノ島に掛かる大池の橋を渡れば、心地の良い風が全身に伝わる。波乱な人生が私を待つことはないと、水面の景色を臨めば分かる。血気の盛んな人間は、頭が働き、身体も動く、共にあって知恵となる。知恵が実のると季節が巡る。私のような人間は血の巡りが遅鈍であるから、あらゆる結果が幾日を跨がねばならない。地下鉄のトイレで息を荒げて用を足していた人間は、私と対照的な人間である。自分の名が呼ばれたと分かる頃には、振り向いたとて、誰も居ない。公園のベンチに座って心を茫っとさせるのが好き。夕空も樹の根が剥き出した土も赤めいていく、肌寒い風に薄らぬるいものを感じ、五月の曖昧さが未だ残っていることに、少なからずの安堵を憶えた。私は、どうやって生きたら良いのかを考えていた。本を読む、社交で耳を柔らかくする、それらが私に困難であるとき、私は自分で悲しまなければならない。困難が然りとて不可能でない限り、私は囁かな希みを持ち得る。私のひこばえの息遣いが遠く心を満たすのは、極めて遥かなる彼方であろう。たとえ見えなくとも、それならば分かる。
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