20160627

六月のおわり

青空の下の奥山が納戸色の素肌を見せ、目の前を広がる花緑青の山々が自然の色気を醸している、そんな風景を私はかつて見たものです。田園を走る電車の中で、ある一瞬間、すぐに通り過ぎるのを知っていながらも、目をそれから離すことのできなかった家の姿を、私は淋しい心地で記憶しました。街路に咲く紫陽花の横で、小学生たちが傘をさして下校している様子を、車の窓から眺めたこともありました。風の心地良く吹く雨の夜に、部屋の中で澄んだ雨音を聞き、正体の分からぬ美しい女性の肌に触れたこともありました。だけど、それは夜の跫となって遠ざかるのでした。雨音が平均して聞こえるのに、それはますます遠く聞こえるのです。そして今、私は電灯の熱が冷める音を聞きながら、深く眠ろうとしています。


必死の情熱も、時計が九時から十時を指すほどに、あっけなく散っていく。詩人は詩人である限り、真理を語ることはできないのです。それが私たちの合言葉で、目を閉じて、それからそっと、心の扉を閉ざす。自信のない人間に、信念などあり得ません。自信だけの人間に確信などあり得ません。鍵穴からのぞく自然が美しい、心が痛むほど堪らなく美しいのに、私にそれは余計なのです。私は眠らなければなりません。そしてその前に、この感触を確かめておきたかったのです。この上なく幸せでしょう、宵の水面を波がきらきらと羽ばたいて、月がようやく姿をあらわし、自分の脈動に気づくほどに、時はゆっくりと歩むようです。

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