20160213

Simple

"Simple is best." という。
単純であることは難しい、と言えるような事柄は多い。また、簡単であるものはいつでも簡単でなければならない。なぜなら簡単であることが難しいならば、それは矛盾だからである。

サッカーでも先きのような言葉が聞かれる。シンプルな攻撃、というと分かり易い。ボールを繋いでゴールまで持っていけばよいのであるが、しかし実際には極めて難しいことである。簡単にパスを繋げろと指示するが、簡単なパスではゴールまで至り得ない。簡単なパスは安全性、ないし確実性に基づいている。一方で、真にシンプルな攻撃は、常にゴールへの道筋という評価基準を持っていなければならない。後者は目標が単純に明確であるため、その筋道を予想して、また恐らく数手の手段からより良い選択を判断するよう、選手に要求する。前者は目標がとても曖昧な為、客観的に見えるものは選手から他の選手に渡るボールの動線だけでしかない。退屈な試合の殆どは前者のスタイルから生じる。U-23サッカー日本代表の試合が面白かったのは、偶然にもカウンターという攻撃スタイルになっていたからでもある。カウンターはゴールへの筋道を辿り易い、いわば攻撃の初等形式である(決して初心者の為のものという意味ではない)。
総じてサッカー日本代表のアジア予選が退屈なのは、そしてやはり何処とやっても退屈なのは問題である。先ず、目標が曖昧な為、従ってゴールへの筋道が曖昧な為、良い判断が出来ない、無論、試合をしている以上、そしてトリッキーなプレイで魅せたいというよりも試合に勝ちたいと思っているならば、少なからずゴールへの意識はあるものだが、それでもゴールへの企図なくしてはやはりボールを支持したいという安全性へ向かわざるを得ない。足下の、或る程度の高度な技術を選手たちが恐らく持っているとして、それでも誰が相手でも難しそうにプレーするのは見るに堪えないものである。日本人の昔馴染みの性格とを結びつけただけの積極性の欠如という指摘が長々と残っているが、その指摘に長年圧され続け、行き当たりばったりで無理したのか、選手が頼りないシュートを打つのを見るというのも味気ない。味方のボランチがボールを受けたとき、どのように動くべきかを考えていた、と本田圭祐との対談で中田英寿が言っていた。また彼は、練習の時は誇らしい技術を示す選手たちが試合になるとよくない、と言って本田圭祐もそれに頷くように応えていた。実際、いまの選手が何を考えているかは知らないが、仮にも技術力を謳われている選手たちが試合ではその力を証明できないとすれば、まさに彼らはその「使い方を知らない」と言える。なぜなら彼らは、そもそも自分で判断が出来ないからである。