20160619

unforgettable

一つの思い出が終わった。かつての勤め先でお世話になった方が退職されたという。すこぶるショックである。彼女の歳は僕と同じくらいだというが、上司という立場から醸しだされるべき、あらゆる要素を持った最強の女性であった。僕は彼女が大好きだった。そして仕事場の野郎どもは皆、そう、我々は皆、彼女が大好きだった。それは人としてそうなのであるが、彼女の魅力は、人間達が幸いにも持ち得たあらゆる多様性の中で、最強に輝く個性である。いつも彼女は鋭い目つきで我々を性別に関係なく睨みつけ、そして全く村雨の如き切れ味で、更に我々の人間としての尊厳は保たれたままに、全く熱を含まぬ冷酷な言葉を刻み込む。人間の暖かみのある血が、傷口から流れていくのが分かる。彼女は鉄仮面の身姿で我々の前に現れるが、それはアイアンメイデンも敵わぬほどの尋常でない冷たさを持ちながら、それでいて美しいのだ。街中ですれ違えば、軒並みの男をして可愛いと言わせしめる、実際は本当に可愛いらしい色白の女性なのである。しかし彼女の武器が眩く輝いて、息吐くまもなく人の心を万里一条の鉄剣が貫けば、その心はもはや全てを夜風に晒さなければならない。我々は彼女を目の前にいつでもそれを欲した。それだけの価値があった。賤しい人間たちである、人間の奴隷的性格である。我々は彼女の日常生活を想像してみたが、それは不可能だった。愚かな人間である。彼女について玉ねぎを食べられないということしか分からない、彼女は極めて不思議で謎の算なき女性である。彼女が仕事場から離れたら、僕はもはや何も想像する手立てがないではないのか。彼女も人間でまだ若い、何も変わったことなんてなく、それはそれは平凡に生活しているのではないか、普通ならそう思っていいはずであるのに、それすらも拒否する魅力というのは、彼女以外に誰が持っているだろうか。僕はすぐ真似たがる人間だから、やはりあの鉄仮面を被りたいと思うのだが、そんなこと、出来やしない。あの人はこれからどのように生活するのだろうか、と思うもの、きっと、殆ど分かりもしないから、悩むこともない。こんな場所に、こんな時に、これほどの素敵な女性がいた、それだけで僕には充分な経験である。皆、どういう風に生きていくのだろう、そういう疑問は、必要なのだろうか。

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