20160607

温度

身体が硬くて言葉の抑揚もない、あらゆる身体的表現は私の領域ではないと、そう思われる。笑顔の絶えない私について、どうして絶えないのかを本当に考える人間はいなかった。あれは緊張をほぐす子どもの名残に過ぎないのであって、心が動いているわけでもなく、筋肉の運動というよりはむしろその反応である、と。

私にだって感情がある。感謝があり、謝罪がある。私は誰よりも冷酷ではなかったし、冷静ではあり得なかった。私を非情な人間として見ようという意味が、何にあるだろうか。確かに、惜しむべき人間の送別に対する半ば当然のごとき反応すら、私には難しい。が、それが全てでは決してなかった。身体感覚の絶頂を無言で過ごす、それが全てというわけでは決してないように。


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